西武線メランコリック

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江古田駅

スーパーのバイトが終わった。人通りの少ない夜道を歩く。寒い冬だった。

スニーカーの靴ひもを結ぶのがめんどくさかった。何もかもめんどくさかった。

家までは徒歩五分。この距離も億劫だった。

夜道を歩くとおじさんに抜かされた。抜かされる時、話しかけられた。

「どうしてそんな効率の悪い歩き方してるの?」

靴ひものことだとわかった。

「どうしてそんな効率の悪い歩き方しているの?すごく、すごく、無駄。」

 

なんで靴ひもくらいでこんなこと言われなきゃ言われないんだろうと思った。かがんで靴ひもを結んだ。

 

めんどくさくて靴ひもを結ばなかった。何もかもめんどくさかった。

そのおじさんに言われたことが、私の人生を指摘されているようだった。

「すごく、すごく無駄」

生きることをめんどくさがって、無駄な時間を過ごした。まだ生きていた頃の惰性で生きていた。

ハッシュタグひとりごと

 

今日も学校を休んだ。授業をサボった。講義をサボった。ずっとSNSスマホゲームをしてた。お風呂も入ってない。ついこの間おろしたと思ったお金がもうなくなってる。なんとなく寂しくなる。虚しさとか。この苦しみとか悩みをかき消すには、何かを作り出すことなんだろう。

誰かに愛されること、自分を愛すること、何かを得ること、美味しいもの食べるとか、外的要因の幸福は簡単だし、SNS映えして他者に自慢できる。ただ極めてインスタントである。カップラーメンを一人で食べた時のような背徳感を伴う快楽の先のような虚しさがそこにある。

インスタントから卒業するには、ラーメンを自分で作るしかない。ラーメンは大変かもしれない。おにぎりでいい。自ら料理をすることが虚しさからの脱却につながる。自己満足的なこと、30分落書きしただけでちやほやされる時代だ。積み重ねて、積み重ねて、私の帝国を作り上げよう。

 

ヘンリーターガーが好きだ。

彼は決して華やかな人生を送っていたわけではない。当時彼は、世間的にはしがない掃除人だった。彼が年老いて救貧院での生活をしている頃、彼の王国は発見されてしまった。寂しい掃除夫は、1日の労働を終えると一人薄暗い屋根裏にこもり、彼の王国を作り上げた。客観的に見れば毎日同じことの繰り返しだった。労働を終え、狭い部屋に戻り、絵を描く。しかし彼にとっては変化の連続。世界が構築されていくのだから。彼のその行為は、宗教的で、儀式的である。彼が救貧院に向かう時、作品は全て捨ててくれ、と言った。彼の中で世界は完成したのだろうか。そして作品が見つかった時、彼は絶望した表情で「もうおしまいだ」とつぶやいた。

作品を作る人間は、評価されたいと思う。いつか評価ばかり気にしてしまう。これはきっと誰しもがそうだろう。人間の世界に生きて、人間が作ったもので人間からお金をもらい生きていく。作ったものを評価されたいと思うのは、至極当然のことだ。

しかし彼は評価どころか他の目に入ることすら拒んだ。見つかった時、「終わりだ」とつぶやいたのは、羞恥の思いからではない。「王国が崩壊する」この理由だ。

自己満足と言うと若干聞こえが悪いがこの幸福は決して即席ではない。

19歳から半世紀近くにわたり構築された「非現実の王国で」。誰のために?他人はおろか、自分のためというのもおこがましい気がする。彼には彼の世界があった。それを彼の脳内だけでは心許ないから形にしていったのだと思う。

 

 

自分と対話し、世界を築き上げることが、とても幸福に思える。

私は彼の、自らに対して丁寧に耳を傾けている姿勢が好きだ。

彼は現実世界に「友達」がいたのだろうか。養子をもらおうとしたがなんども断られたという。孤独な現実だったが彼には七人の「ヴィヴィアンガールズ」がいた。きっと彼女たちが友達だったのだろう。彼は決して孤独でなかった。決して寂しく、かわいそうな人間ではなかった。私はむしろ、この世で最も幸福な人間だと思う。

リア充。リアルは充実していないかもしれないが、現実世界が充実することよりも幸福であると思った。

 

 

 

 

言葉にするのは難しい。形にするのが怖かった。

今何を考えているとか、そういうのは薬で忘れさせた。

普通になることが夢だった。あなたはどうなりたい?って聞かれて「普通になりたい」って答えてた。普通の女の子だったら、普通の女の子だったらっていつも思ってた。

訓練したら普通になれた。訓練すれば何にでもなれると思った。

起きて、カーテン開けて、ご飯食べて、歯を磨いて、着替えて、誰かと電話するんだ。

私の生活。

思考も腕も、止めたくないよ。誰かの模倣もしたくないよ。でも何にでもなれるなら、何にでも誰にでもなりたい。